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■首里城

日の本の国の外国、琉球王国。大陸からの文化と、島国日本の文化を長い歴史の中で見事に折衷させたこの国の人々の子孫が生きる沖縄。その歴史を語る首里城。


琉球史を語る 首里城

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 眠れる獅子と言われた中国や、台湾に行かれた経験のある方ならまず気がつかれると思うのが、首里城をほぼ統一しているその色である。



 赤とオレンジ色の中間色のようでもあり、かと言って茶色ではない。この色は、中国や台湾の町並みでもよく見かける。



 それだけでも、大陸文化の影響をうかがい知る事が出来る。随所に現れる・・・龍の装飾も同じくである。

 

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 琉球王国の人々の衣服や髪型なども、残されている絵画などを見ると、大陸人と間違える程よく似ている。



 国王の王冠を拝見したが、日本ではあまり見かけないものであった。わが国で言う戦国時代の末期あたりから、薩摩国の島津家の琉球侵攻が始まるまでは、その文化の中心はほとんど大陸からの影響を受けているように感じさせられた。

 

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 ところで、首里城と日本に残る城を比較してみると、決定的な違いに気づく。

城壁に穴がないのである。



 日本の城では、攻城戦に活用される穴を城壁の至る所に見つけることが出来る。攻めてくる敵に、銃や弓矢で遠距離攻撃を仕掛けるためである。



 何故、首里城にはその機能がないのであろうか?歓会門から正殿に向かって歩む石畳は狭く、階段の勾配は厳しい。

 

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 おそらくは、場内に進入してきた敵の足を止める為の工夫であろう。島津軍が琉球に侵入して来た時の軍勢は、3千程度だったと言う。



 そして当時の国王は捕らえられ薩摩に連行されたと言う事である。関が原の合戦に島津軍が投入した軍勢と比較しても、或いは、海を渡るという理由があるにせよ、少ないと思うのは私だけであろうか?



 推測の域を出ないが、私は当時の琉球王国はあまり戦乱のない、平和な国であったような気がするのである。だとすれば、城壁に攻城戦用の穴がないのも理解できる。その後、中国と日本という国の狭間で翻弄されながらも国を守ってきた琉球人の歴史は、属国と言う弱い立場の中、独自の文化を逞しく築いていくのだ。

 

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 現代の沖縄の人々は、日本人が忘れかけている、他人や、自然との共存の精神を大切にしている。この事は、他国にかき回された琉球史の中で学び取った、彼等の財産だと私は思う。



 今も、日本と米国の間でその生活に影響を与えられ続けているここ沖縄で、戦乱にもまれ何度も復元された、首里城がその存在のみで語りかける歴史の真実は、私の心に静かに重く教えてくれる。



『生きると言う事は、諦めないと言う事』なのだと。



 首里城には観光客が多いが、その美しさや絢爛さに目を奪われるだけでなく、先人たちの声なき訓えに耳を傾けて欲しい。

 
 

(ライター:琉球海賊団)  


Data
場所: 沖縄県那覇市首里金城町1-2
電話番号: 098-886-2020
URL: 首里城のURL

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