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■嘉数高台(嘉数高地)

宜野湾市嘉数にある高台。沖縄戦最大の激戦地で、頂上の展望台からは、普天間基地、米軍の上陸地である読谷海岸や慶良間諸島が一望できる。



ここ嘉数高地から首里に至る中部戦線で、日本軍は約6万4000名が戦死、米軍の戦死傷者も2万6000名に達したという。


多くの尊い人命を失った激戦地

嘉数高地は、第2次世界大戦中に作戦名称第70高地と命名され、藤岡中将の率いる第62師団独立混成旅団、第13大隊原大佐の陣頭指揮で、約千人の将兵と約千人の防衛隊で編成された精鋭部と、作戦上自然の要塞の上に堅固な陣地構築がなされたため16日間も一進一退の死闘が展開されたが、ついに日本軍は矢尽き刃折れ後退した。しかし米軍にとっては『死の罠』「いまわしい丘」だと恐れられた程に両軍ともに多くの尊い人命を失った激戦地である。



この嘉数高地70高地は、旧日露戦争の203高地の値する第2次世界大戦の歴史の上に永代に残る戦跡である。
 

頂上への道

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高台だけあって、頂上に行くにはこの長い階段を上がらなくてはならない。百二十数段あった。

 

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他に、駐車場わきから遊歩道を通って頂上に行く方法もある。傾斜はゆるやかだが、その分距離が長くなるため時間はかかる。ハブに注意!

 

展望台

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高台の頂上には、地球の形をした展望台があり、周囲360°が見渡せる大パノラマとなっている。夜景スポットとしても有名。

 

展望台から、普天間基地が一望できる

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タイミングがよければ、ヘリや輸送機の離着陸の様子を見ることもできる。米軍が何らかの作戦を行う前には、輸送機のタッチ&ゴーの訓練が盛んに行われる。

 

青丘の塔

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沖縄戦で亡くなった韓民族出身者の慰霊塔。

韓民族出身の軍人・軍属の386名がここで命を落としたと記されている。

 

嘉数の塔,京都の塔

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写真中央が京都の塔で、右が嘉数の塔。



(嘉数の塔の文面→)この地で、米軍を迎え撃つ日本軍は肉弾攻撃をし玉砕した。その多くが京都出身である、この時、嘉数の人々は京都部隊を援助、輸送等の任務につき、外地に出征した人もあわせ343人の犠牲者を出した。これは区民の過半数である。それは、本土防衛の使命感に殉じた区民の誠意によるものであり、永久に英勲を讃え芳名を塔下に埋蔵する。



(京都の塔の文面→)京都出身者の将兵2530名余りの人が、郷土を想いつつこの地で倒れた、又、多くの沖縄住民も運命を共にされたことは、まことに哀惜にたえない。戦後19年を経てこの地で亡くなった人々のご冥福を祈るため京都市民によって建てられました。再び、戦争の悲しみが繰り返されることの無いよう、併せて沖縄と京都を結ぶ文化と友好の絆がますます固められる様、この塔に切なる願いを寄せます。

 

トーチカ

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頂上付近の北側斜面に保存されているトーチカ。



当時、地下には頑強な陣地壕が張り巡らされ、地上にはトーチカが置かれていた。4月8日頃から激戦となり、高地の北側では、兵隊が爆弾をかかえて戦車に体当たりをするという、肉弾戦法が展開されたという。



写真のトーチかは、前面が破壊されており、当時の戦闘の激烈さがうかがえる。後方に入り口があって、今も中に入れるようになっている。陣地壕につながるトンネルの入り口も見ることができるとのことだが、私は、気味が悪くて入れなかった。

 

戦後60年・・・

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上空を米軍ヘリが飛ぶ。

 

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かつて地獄のような戦闘が行われたここも、今は公園になっている。

子どもたちが楽しそうに野球する横をおばあがのんびり散歩していた。

 
 

(ライター:momo&taro)  


Data
場所: 沖縄県宜野湾市嘉数1-5

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